原発を巡るリアル

ベトナム戦争のリアル


11月24日の午後5時から、代官山の「UNIT」で行われたATOMIC CAFEのイベントに参加した。遠藤賢司や加藤登紀子、HEATWAVEの山口洋、ソウル・フラワー・アコースティック・パルチザンといった、そうそうたるメンバーによるLIVEがあり、さらにはピーター・バラカン、山本太郎、田中優を交えたトークセッションもありと、時間にして5時間に渡る長いイベントだった。


トークセッションの序盤では、音楽と絡めながら原発の問題が語られていった。そんな中、ピーター・バラカンさんの次のような発言が印象的だった。

 

”ベトナム戦争は、アメリカの若者にとって「リアル」な問題だった。当時は徴兵制度があり、徴兵逃れでアメリカ国外に脱出する者もいた。そんな「リアル」な状況だからこそ、若者たちはメッセージを発するようになり、社会性の強い、メッセージのある音楽がたくさん生まれた。”


この発言を受けて、司会を務める島キクジロウ氏は、次のように繋げた。「原発問題はいま、私たち日本人にとって『リアル』な問題なはずなのに、どうして同じような状況にならないのでしょうか?」


都民投票のビラ配り


ATOMIC CAFEのイベントに参加する前、午前11時から、私は渋谷モアイ像前で原発都民投票を求める運動のビラ配り、および「受任者」と呼ばれる署名集め人を募る活動をしていた。この活動の主体となっているのは、「みんなで決めよう『原発』国民投票」という市民団体で、私が関わり出したのはつい最近のことだった。街頭活動に参加したのは、今回が初めてだ。


ビラを配っていて如実に感じたのは、祝日の昼間に渋谷の街を行き交う人々の、反応の鈍さだった。

 

私が唯一比較できる体験は、選挙のときの街宣でのビラ配りだが、かつて経験したどの選挙運動よりも、受け取ってくれる人は圧倒的に少ない。選挙の場合には、「選挙が行われている」ということが人々の頭の中に前提条件としてあり、その上でビラを配る人に接するわけだから、単純に比較はできないとは思うものの、少し寂しい状況であることには違いがない。

 

子供と一緒のお母さんなら、大抵受け取ってくれるのではないかと甘く考えていたが、全然そんなことはない。邪険にされることはないとはいえ、原発問題に関する無関心さ、少なくとも原発問題を政治問題として扱い対峙していくことに関する無関心さを、感ぜずにはいられなかった。

 

反応が鈍い理由


どうしてビラを受け取ってもらえないのだろうか? ピーター・バラカンさんが使った「リアル」という言葉を使って考えると、ここでは、二つの「リアル」の希薄さがあるのではないかと、私は考える。

 

第一に、原発の危険性についての「リアル」が希薄になっていること、低下していることが考えられる。このビラ配りが数ヶ月前に行われていれば、もっと受け取ってくれる人は多かったのではないだろうか。3・11から8ヵ月が経ち、東京新聞を例外に大手メディアも原発被害を大きく報道しない状況の中で、日々忙しく仕事や家事に追われ、人々の原発に対する危機感が薄れてきているとしても、不思議ではない。

 

第二に、脱原発を実現することに関する「リアル」の希薄さ、低下も懸念される。すぐに「個人的な意見」とトーンダウンをしたものの、総理大臣であった菅直人さんが脱原発の方向性を打ち出したことは、この国の原発政策の行方を考える上で、大きなインパクトがあった。浜岡原発の停止も、脱原発へのベクトルを強めるものだった。しかし、野田内閣になり脱原発の発言は民主党政権から聞かれなくなり、政府は原発輸出の方針さえ決定してしまう。また、この夏の計画停電、節電の不便さの経験は、「やはり原発がないとダメなのか」という意識を人々に刷り込み、脱原発への志向を弱める働きを、思いの外大きく果たしたのかもしれない。

 

上記2点の懸念される「リアル」の低下に加えて、都民投票・国民投票運動自体が内包する「分かりにくさ」が、活動のメッセージを伝わりにくくしているということもあるだろう。

 

今回街頭で訴えたのは、「原発<都民>投票」についてである。だが、市民グループの最終的な目標は「原発<都民>投票の実現」ではなく、「原発<国民>投票の実現」である。まずは原発が作り出すエネルギーの最大消費地であり、東電の大株主でもある東京都で、直接請求の制度を活用して署名集めをして議会に都民投票の条例案を提出する。理屈はしっかりと成り立っているのだが、ピンとこない人も多いのではないだろうか。

 

また、今回の運動は、あくまでも都民投票・国民投票を実現することを求める運動であり、脱原発を目的とする運動ではない。原発反対派も原発推進派も等価であり、国民の意思で決定をするための制度を樹立することが目標である --- 実際には、活動に参加する人は誰もが、脱原発という問題意識をエネルギーにして動いているのだが。この点も、メッセージを伝わりにくくしている懸念がある。

 

福島の子供たち


トークセッションの中盤以降、音楽の話はなくなり、原発・放射能の問題に完全にフォーカスが移っていく。そんな中、強く印象に残っているのは、福島の子供たちに関する二つのエピソードだった。

 

ミュージシャンの山口洋さんは、福島県相馬市をピンポイントで支援している。山口さんは、その相馬市に住む女の子からの問いかけが、頭から離れないという。「私たちに未来はあるのでしょうか?子供を産むことはできるのでしょうか?」。こんな社会を作ってしまった責任を感じていると、山口さんは続けた。


社会活動家の田中優さんは、福島の子供たちを沖縄に一時避難させた際のエピソードを紹介した。子供たちは、10分以上外にいてはいけないと福島で教わっていたため、沖縄でも10分経つと屋内に入ろうとしたという。また、沖縄の美しい海を目の前にしてもその中に飛び込もうとはしなかった。沖縄では、外で、海で、思いっきり遊んでも構わないということが一旦把握できると、子供たちは、大人たちの制止を無視してまで、遊びまくっていたという。「子供たちは、将来ではなく、いま、遊ばないといけない。だが、あの子たちもまた福島に戻らなければならない」

 

全ての答えは福島の「リアル」の中にある

 

山口さんや田中さんの話を聞いて、分かった気がする。全ての問いに対する答えは、福島の「リアル」の中にあるのだ、と。


なぜ「リアル」なはずの原発の問題が、ベトナム戦争時のアメリカのようなムーブメントを生み出せないのか?それは、ベトナムに匹敵する「リアル」は福島に代表される高汚染地帯に集中しており、その状況がメディアを通じて十分に人々に伝わっていないからだ。もちろん、福島以外の場所でも、自分の子供が放射能の影響と思われる症状を出している親にとっては、原発は「リアル」な問題である。だがその「リアル」は、福島の状況同様、ミクロレベルのコミュニケーションにとどまっており、マスレベルでのメディア露出は実現されていない。


原発を巡る全ての活動の起点は、福島になければならない。除染や食品の安全基準、ガレキ処理はもちろん、脱原発も、国民投票・都民投票も、こうして言葉にしてしまうと当たり前のように思えるが、福島の原発事故からこれら全てが始まり、今もまだシビアな現実が続き、将来にも暗雲を投げかけているからだ。

 

いまそこにありこれからも続く、福島の「リアル」、そして福島以外の地域でも、悩みながら小さな子供を育てている人々の「リアル」。この、リアルな苦しみが深く理解され、浸透することなくして、将来生まれ得る苦しみを予防するという意味での脱原発に「リアル」が付加され、ムーブメントが生まれる訳がない。

 

なぜ国民投票・都民投票運動のメッセージが伝わりにくいのか?それは、福島の「リアル」を十分に語り切っていなくて、それを起点にしていないからだ。ここでは、必ずしも脱原発は語らなくていい。①福島はいまこういう状況です。②これでいいのでしょうか?③原発の問題は自分たちで決めましょう!― この三段論法の1点目に福島の「リアル」を置くことによって、運動の分かりにくさも解消され、ベトナム戦争時のアメリカに匹敵するような、「リアル」なムーブメントを生み出しえる可能性が出てくるのではないだろうか。

 

私は政治の世界に足を突っ込んでいたことがあるが故に、三段論法の3点目に重心を置いてしまいがちである。また、国民投票運動全体を見ても、同様の傾向が見られるように思われる。「この国にも新しい民主主義を!」という呼び掛け自体は、意義深く、素晴らしいことなのだが、それを強調するだけでは、薄っぺらな、非「リアル」な政治論、運動論として人々に捉えられてしまう。

 

今後の活動


正直なところ、渋谷でのビラ配りを終えてみて、原発国民投票・都民投票の活動に対して少し悲観的な感覚を持ったのも事実だ。だが、ATOMIC CAFEでのトークセッションを聞いて、自分の中でのこの問題に対する心の整理が付き、希望が見えてきたような気がする。これから自分のすることは、次の二つになる。

 

(1): 福島の現状、放射能汚染の現状について、もっとアンテナを張り、情報を収集して、できれば何らかの体験も積み重ね、しっかりと理解をしていくこと。その過程で、自分の考えの整理を続けながら、自分の想いを「リアル」(考えの整理なんて全然リアルじゃない、という意見もあるだろうが)にしていくこと。

 

(2): (1)を疎かにせず、かつ同時に、山本太郎さんが言うように、国民投票が「一番リアリティーのある」脱原発へのアプローチであるという考えに賛同する限り、運動を訴える地道な活動を繰り返していくこと。

 

山本太郎さんなんかにとっては、最初から(1)と(2)は等記号(=)で結ばれているんじゃないだろうか。どちらが大事、というのはなく、同じ問題の別の側面として捉えているんじゃないだろうか。原発国民投票のグループ全体にとっても、また個人的にも、彼の姿勢、活動は、ロールモデルとしなければいけない。福島の「リアル」をもっと知ること、その上で、またはそれと同時に、同じ問題の延長線上としての脱原発問題、国民投票問題を訴えていかなければならない。

 

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コメント: 1
  • #1

    Reginald (月曜日, 23 7月 2012 20:10)

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